(さわ)令和5年10月28日
10/28 ゲートP7:20~ F912:30/13:00~ ゲートP16:00 Oくん
滝沢(F9まで偵察)
- F1 30m ハーケンが乱れ打ちされているがライン見えず自分は登れない、左岸明瞭巻きトラロープ有
- F2 20m右のバンド直上で支点乱れ打ちやや難しそう 巻きだがここはおそらく登れる 左岸巻き懸垂無しで沢に戻れる
- F3 滑り台、そのまま登れるが滑る
- F4 Oくん直登左から
- F5 Csのある2段滝、難しくない
- F6前衛? つるつるの8mはA0とあぶみで突破 滑るので1手が難しいと思う、要ステミング力
- F6 15m 左にラインが見えて残置有だが…右岸巻き 右岸小巻はマヅいと思う
- F7 15m 左がまだマシなレベル、右岸巻き 自分には登れないと思った
- F8 20m 左からOくん 上部の動く岩が怖い ロープ不要なのか⁉
- F9 30m 終点 右の巻きラインは見えたが… 上部が悪そう、ここで引き返し
- 懸垂支点はすべて整備されているが怪しいのもある、F8上はハーケン2本打った、全行程ハーケンが思いのほか良く刺さる沢
- 茗渓!
目次
恵庭岳
【標高】 | 1320m |
【三角点】 | 二等 恵庭岳 (無かった?) |
【アイヌ】 | エ・エン・イワ/頭・尖っている・山【北海道駅名の起源】 シコツノホリ/大きな窪地の山 シ・コッ/大きな・窪地 |
【一口】 | シコツノホリ 千年山 |
【一口2】 | 恵庭 ・1897(明治30年)千歳から分村して【漁村】といった、漁はアイヌ語のイチャン・ウニ(サケ・マスの産卵場あるところ)に当て字をしたもの ・1906(明治39年)島松村と合併の際【恵庭】とする、エエンイワに漢字をあてたもの【札幌地名考】 |
【一口3】 | 滝沢 【スガワラノ沢】と呼ぶのが正しいが苫小牧山岳会によって試登が重ねられ【滝が沢山あるという意味で滝沢】と呼ばれるようになった【北海道の山 アルパインガイド23】 |
【ルート】 | 滝沢 F9まで |
【林道】 | 丸駒付近のゲートから 丸駒~滝沢~西沢~奥潭 約4㌔良好 定期的に笹刈痕ありやぶ漕ぎなし |
【ダニ】 | 支笏特有か?今頃大繁殖して太った親ダニと20匹位の子ダニがズボンにびっしり付く様はリアルホラー |
【くま痕】 | F1付近に怪しい足跡有り? |
【事故】 | 1959(昭和34年)夏 高校生が風倒木処理の林道が錯綜していた恵庭岳の涸沢に迷い込み、ツルツルの岸壁に行く手をはばまれ、動きが取れなくなり一命を落としている【山の履歴簿】 |
【時間】 | ゲート~F9/5h F9~ゲート/3h |
【怪我】 | なんでもない所で転んで右弁慶血まみれ |
【亡装備】 | 最後のタバコケース |
GALLERY ~Gopro使いこなせてない 2023Autumn
今頃になってのOくんからの滝沢だったので初めは乗り気でなかったが(ハイシーズン行く余裕はあったはず!)行ってみれば雪無く寒くなくピーカンなので結果良ければ楽しい1日であった、偵察目的なので余裕を持ってしっかり滝も見れて再訪して課題をこなしていきたいと思う沢になった
通称【熱血塾】で面倒な山行も唯一ケツ割りしないで一緒に登山を行ってくれるのはもはやOくんだけ、気がつけば好きなところにどこでも行けて互いに!!!の沢に挑戦できるレベルの達している相棒を見ていると、自分のやってきた登山が無駄ではない事に思えて救われた気持ちになりもはや10年来の登山の相棒となった、ありがとう
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