(ハイクやや沢)令和4年10月22日
10/22 P7:30~ 西山ピーク12:10/13:00~ 樽前7合ゲート 13:30 KくんとKちゃん
※スタートは橋のゲートから、GPS受信せず途中から表示で序盤は道迷い有
シシャモナイ沢
- 適当に歩いてたら林道で少し道迷いした、おそらく地図表記の無い林道から簡単に入渓できると思う
- 登山靴でも良いがしっかりした水流が有るので靴が濡らされる可能性は高く滝場では滑る、沢靴でも良いが樽前からの帰り道でソールが減る事を鑑みると悩ましいところ
- Co600から左股に抜けた、たくさんある枝沢を繋ぎ尾根道はやぶが薄く登山道に近いのでそのままCo874を目指せばやぶ漕ぎなしで稜線まで快適に行けた
- 滝が連続するところは登山靴では滑って登れないので右岸巻き
- 水流があるせいか変化に富んで樽前らしくなくシシャモナイコースよりはるかに良く紅葉も美しい
目次
樽前山
【標高】 | 993m 西山 |
【三角点】 | 一等 樽前岳(1022東) 三等 樽前山(993?西) |
【アイヌ】 | ヲタルマイ ヲタ・ルー・マイ/砂・解ける・在る 【上原地名考】 タオロ・マ・イ/川岸・ある・もの 【永田地名解】 タラ・オマ・イ/背負い縄・ある・処 【北海道の地名】 オタ・オル・オ・マイ/砂浜の所にある川 オが落ちてタルマイになった【北海道の地名】 オフイ・ヌプリ/燃える・山 【増補千歳市史】 シシャモナイ シサム・オ・ナイ/和人・いる・川 |
【一口】 | ・硫黄山(垂前山) 【野作東部日記】 ・樽前岳 アイヌ原名 ヲフイノホリ 燃える山 ・アノロタルマイ岳 海の方のタルマイ岳 ・ユウフツノホリ ユウ・ブツ/温泉・水口 【上原地名考】 イ・プッ/それの・口 訛って<勇払> 【北海道駅名の起源】 |
【一口2】 | 【支笏火山の活動履歴】 ・1667 大噴火 山麓に軽石流失森林焼失、住居埋没死者多数、降下軽石苫小牧地方で約2m ・1739 大噴火 降下軽石現千歳空港付近で約1m 山頂部に1.2×1.5㎞の外輪山(小型カルデラ)形成 ※樽前山は富士形 -1799渋江長伯 富士形に描かれ溶岩ドームが無い ・1874 噴火 中央火口丘に直径180mの火口が生じた ※1874 絵師 船越長善のスケッチには2すじの噴煙が立ちのぼる樽前山 ・1909(明治42年)4月 噴火 溶岩ドーム生成 ※志賀重昴1894【日本風景論】の樽前山の挿絵は富士形、1894出版以降の大規模な火山活動は1909の噴火があり、溶岩ドームが生成されたと記録されている、この噴火で山の高さも約180m高くなった 以後 小噴火多数1981年のごく小規模な噴火が最後となる <山頂への登山自粛> 立ち入り禁止→立ち入り危険区域 |
【一口3】 | 支笏南東壁に生じた火山で、山頂部に南北1.2㌔、東西1.5㌔の外輪山があり、その中央に明治42年に生成された溶岩ドームがある。このドームは「樽前山溶岩円頂丘」として北海道指定文化財に指定された。道央自動車道樽前ICからの眺めが素晴らしい【山の履歴簿】 |
【小屋】 | 樽前ヒュッテ 1959(昭和34年)建設 2009~(平成21年) 定員10名通年利用可(緊急避難時) 苫小牧市経済部商業観光課 ※現在のヒュッテが建設前に<樽前小屋>があった、何時・誰が・何の目的で建てたかは不明 |
【小屋2】 | 樽前山避難小屋 - 外輪山頂上北東方100m下がった場所にあった 1961(昭和36年)建設 1992(平成4年)解体 ・小噴火の避難のため ・昭和36年の支笏湖畔開催の国立公園大会に出席される皇太子・妃殿下の休憩所 長らく展望台として利用、臭気酷く窓ガラス1枚も無くスチールの窓枠すら無くなる始末、土台の風化著しく1992年解体 |
【ルート】 | シシャモナイ沢~樽前山ヒュッテコース |
【くま】 | くま痕無し |
【魚】 | いない |
【時間】 | P~ピーク/5h ひたすら詰めるのならピークまでおそらく3h半位 |
GALLERY
Kくんファミリーとシシャモナイ沢へ、KちゃんとははじめましてでいつもKくんをお借りしてます
のんびりと3人で【Another樽前】を満喫する、沢登りと呼ぶには物足りないかもしれないが情緒溢れた良いルート、願わくはこれ以上無駄なピンテでルートが汚れない事を願うばかり、楓沢化してしまうのは悲しい
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